タマザワの日常

タマザワのリアルな本音を吐き出します

その目標、目的、夢、意味あります?

 

 

みなさん、こんには

ブログが本格的に楽しくなってきた

タマザワです。

 

 

いきなりですが

僕、飽き性なんです。

 

いや、飽き性というか

「熱中出来ない病」なんです。

 

楽しいと思ったことも

大体3日経てば、やめてしまっています。

 

本も買ってから

(いつもテーマを絞ってまとめ買いするのですが)

3日くらい経つと本棚に並べられます。

 

その結果

僕の本棚の半分は買って読まれてません。

 

この現象って

飽き性と似ているので

誤診していましたが

 

そもそも熱中してないじゃん」

ってことに気が付きました。

 

熱中してないことに飽きることなんて

出来ないですからね。

 

つまり僕は

「熱中する前にやめている」だけでした

 

「じゃあ、熱中するまでやればいいじゃん」

 

その通りなんですが

それが難しいんです。

 

中々、ハマれないんです。

 

その原因は

「やりたい」という感情を押さえつける

「やる意味ない」という理性があるからです。

 

ですから治すには

この「やる意味nothing」を取り除いてあげることが

必要なようです。

 

さて人は物事に意味づけをするとき

「目標」、「目的」、「夢」といった

望ましい未来を基準にしています。

 

やりたいけど

夢に繋がらないから(=やっても意味ないから)

やめよう

 

といった思考回路です。

 

判断基準は他にもあります。

 

 

「上手い」「下手」「世界一」「才能」

などといった他人との比較によっても

意味づけします。

 

やりたいけど

才能ないから(=やっても意味ないから)

やめよう

 

といったものです。

 

でも考えてみたんです。

 

「やりたい」という感情と

「才能ない」という理性と

なんの関係があるのでしょうか。

 

僕は勝手に思い込んでいました。

 

「目標を達成する最短ルートを

いかなければならい

 

とか

 

「一番になれなきゃ意味がない」とか。

 

もし人生の豊かさが

「どれだけ早く達成できたか」や

「一番になること」で

決まるなら、その理論は納得です。

 

でも違う。

そもそも目標や夢は日々を充実させるために

持ったんじゃなかったか?

 

つまらない日々から抜け出すため

わくわくする未来を描いて

「今」を楽しんでいるんじゃないのか!?

 

だとしたら、

「やりたい」「楽しい」と思うことを

「意味がない」と

無視することは本末転倒じゃないか!

 

いや、本末転倒どころかもっと酷い。

 

「やりたくないこと」を

「意味があるから」と

強要することもある。

 

これじゃあ、充実しないだけはなく

「辛い」人生になっているじゃないか。

 

この思い込み、捨てよう。

 

意味とか関係なく

 

やりたいからやろう。

 

 

ということで

とりあえず楽しいからブログを書くのでした。

 

 

(終)

 

追伸:

ちなみにこの思い込みは

受けてきた教育にあると思ってます。

 

良い高校、大学に入るための受験勉強

いい会社に入るための就職活動

もしものための貯金

 

などと未来のために今我慢するという

社会で育ったのには関係があるのかと。

 

またその良い未来とは

「競争により勝ち取っていくもの」だという

イメージも同様です。

 

先ほどの「一番でなければ意味がない」

などといった思考もそこでついたのではないかと

推測しています。

 

勿論、未来志向を悪いとは思っていません。

 

でもその思考には

「やりたいこと」を我慢して

「やりたくないこと」をして

人生を辛いものにする危険性があるなと思います。

 

それよりは

「今を熱中して生きること」の方が

十分人生を大切にしているように思うのです。

 

 

ニートの戯言ですが

読んでくれてありがとうございまする。