タマザワの日常

タマザワのリアルな本音を吐き出します

そもそも健康ってなんやねん②

 

 

皆さんこんにちは

 

生活習慣を整える努力をしております

タマザワです。

 

本日は昨日に引き続き

健康管理とはなにかを考えていきたいと思います。

 

さて昨日の時点で

 

体調(健康)管理とは

肉体的、精神的に異常がなく、

かつ、それを持続させていく力を

行使すること

 

と定義いたしました。

 

本日は

その肉体的、精神的に異常が

無い状態をもう少し具体的にしていきたいと

思います。

 

異常というと

思い浮かぶのが病気ですよね。

 

病気を辞書で調べてみましょう。

 

病気とは

生体がその形態や生理・精神状態に障害をきたし

苦痛や不快感を伴い、健康的な日常生活を営めない

状態のこと。

※goo辞書

 

この記述は逆に言えば、

障害をきたして苦痛や不快感を

伴ったとしても、健康的な日常生活を営めるなら

それは病気ではないと捉えられますね。

 

また日本大百科全書において

面白い記述を発見いたしました。

私にとって難しく分からない箇所が多かった

ため、一部抜粋して下記に記述いたします。

 

病気とは実体のないもののため

自然科学的に定義することが難しく、

社会や文化による決め事のようなものである。

 

これは、症状自体は同じものの、それを病気か、

そうでないかを判断するのは社会によって異なる

ということであり、医学の考え方によって異なる

ということを示しているのだと思います。

 

その事例の一つとして

マラリアという症状は、リベリアのマノ人の間では

ほとんどの人が経験しているという理由で病気とされなかった

ことがあげられています。

 

これまで「健康とは異常がないこと」

という定義から「異常とは何か」を探ってきましたが

どうやら、異常というものは定まった

ものではなく、むしろ社会が恣意的に作る

論理のもと決められることがわかりました。

 

論理を人が決めるのは当たり前なのですが

その基準が世界で統一されているわけではない

とすれば、判断するのは難しくなってきます。

 

先ほどの辞書の病気の定義とまとめると

 

病気とは

健康生活に異常をきたす症状であり、

その異常かどうかの判断は社会や文化に

よって違うということになります。

 

………

 

ここで気が付きましたが

WHO憲章の健康の記述を昨日のブログで取り上げましたが

あの記述が抽象的なのは、時代や社会によって

健康の解釈が変わるからではないでしょうか。

 

確かに言葉によって健康の意味合いの範囲は決まるものの

具体的な健康の定義や取り組み方は

個々の社会の自由になっている印象を受けます。

 

もう少し簡単に言えば

方向性だけを決めて、あとは個々の社会の

状況や文化を尊重するというような

多様性を容認したアプローチに思えます。

 

まあ、思ったことを書いてみましたが

気付いてみれば当たり前ですね(笑)

 

というわけで

「健康とは異常がない状態」定義いたしましたが

そもそも、異常や正常というものが

しっかりと存在していないことがわかりました。

 

しかし、健康診断というものが存在することや

医者が日頃、人の体を診察している現状を

みると、確かにそこには何らかの基準が

あるように思われます。

 

自分が体調不良だったために

少し健康について考えようと思ったら

まさかこんなにも深かったとは思いませんでした。

 

次回に続くと思いますが

この記事の続きはもう少し勉強してから

書こうと思います。

 

付き合っていただきありがとうございました。

 

(終)